<目次>

チェコ・プラハ 
ルーマニア

 

チェコ・プラハ(Prague)(2004)

イースター休暇を利用して、「百塔の都」「東欧のパリ」などとも呼ばれるチェコの首都・プラハへ行ってきました。
ゆったりと流れるヴルタヴァ(モルダウ)川の河畔に堂々と佇む古都プラハは、歴史の重みと共に、建築・音楽等の芸術作品も溢れる、とても魅力的な街です。美しいとは聞いていたものの、写真で見るのと実際にその場に行くのとでは違うなぁと実感しました。カレル橋からヴルタヴァ川を眺めていると、スメタナの「わが祖国」やドボルザークの「新世界より」などの曲がこの地から生まれたのが少しだけ分かるような気がしました。

意外だったのは、歴史的背景やドイツとの国境近くに位置することから、ドイツの街と同じような雰囲気かと思っていましたが、どちらかと言うとイタリアのエッセンスが入ったウィーンと似たものを感じました。それはハプスブルク家が支配していた頃の名残かもしれませんが、古くから様々な人種が交わり、多くの戦争にも巻き込まれた歴史などから多様化しており、この街を一つの特色で表現するのは難しいようです。

 
カレル橋とプラハ城(手前はスメタナ記念館)

2002年夏の洪水被害の傷は跡形も無く、街は綺麗に整備され、多くの観光客で賑わっているものの、とても清潔に保たれていました。
プラハの中心部は大きく分けて、旧市街、新市街、ユダヤ人街、ヴルタヴァの対岸にあるプラハ城地区の4つに分けられます。見所は近くにまとまっていますので、街を歩きながら雰囲気を楽しむのが一番でしょう。地下鉄やトラムも発達していて便利ですが、お天気が良ければ(そして健脚であれば)、旧市街からカレル橋を渡ってお城まで歩かれると良いと思います。おもしろい看板や素敵なお店を発見したりと楽しめることでしょう。
各地区の特徴と気づいた点を簡単に挙げておきます。

<旧市街>
旧市街広場にはゴシック、ルネッサンス、バロックと様々な様式の建築が建ち並び、圧巻です。この広場を中心に、周囲には多くのお店が軒を連ね、ガイドブックには記載されていない教会も多数あります。有名でなくても、中の装飾はすばらしいものが多いので、いろいろと覗いてみるとよいと思います。

<新市街>
荘厳な建築、国立博物館前に広がる聖ヴァーツラフ広場(広場というよりも大通り)はプラハ一の繁華街で、銀行やホテル、様々なお店が並んでいます。この広場は共産主義の時代に犠牲になった学生達を奉った小さなモニュメントもあります。


旧市街広場に建つヤン・フス像

<ユダヤ人地区>
10世紀頃からユダヤ人がプラハに定住し始めたそうで、ここには多くのシナゴーグがあります。折り重なるように並んだ墓石や、血痕の跡など、ここでは別のプラハの一面をうかがい知ることができます。

<プラハ城地区>
旧市街から眺めるプラハ城もすばらしいですが、城内にも多くの貴重な建築・文化遺産がいっぱいです。城内で主だった見所(ミュシャのステンドグラスがある聖ヴィート教会のカテドラル、王宮、聖イジー教会、黄金の小道)は有料となっていますので、入り口でチケットを購入するのをお忘れなく。タイミングが良ければ衛兵交代式が見られるかもしれません。
また、プラハ城近くのストラホフ修道院、ロレッタ教会にも足を運んでみてください。ただし、お昼休み中は観光できませんので、事前に時間を確認して下さい。

<音楽・劇>
ウィーンと同様、音楽に関するイベントは街の至る所で行われています。コンサートホールだけでなく、日本ではなかなか体験できない、教会でのミニコンサートも数多く催されています。クラッシック通でなくても聴いた事のある有名な曲目が多く、お値段も手頃で気軽に楽しめます。また、プラハの名物マリオネット劇場もあり、夜もプラハならでは楽しみがたくさんあります。

<食事>
チェコ料理というとあまりピン!ときませんが、主なメニューはローストした豚や鴨肉に少しフルーツの甘みが利いたソースをかけたものでしょう。
ドイツ料理に近いものもありますが、量もあまり多くなく、味付けもやや薄めです。パスタやクレープなどをちょっと変わった調味料でアレンジしたものなど、インターナショナルというより「無国籍」料理という感じがしました。

<物価>
物価は年々上がっているそうです。交通機関の料金は安いですが(例えば空港〜中心街までのバス:90クローネ)、飲食品、お土産品などは安いという感じがしませんでした。ソフトドリンクが45〜55クローネ、パスタが150〜250クローネなど、デュッセルドルフとあまり変わらない値段でした。(2005年3月:1クローネが約4円)

今回は2泊3日の旅程でゆっくり時間をとったつもりでしたが、それでもまだ観光できなかった場所があります。博物館や美術館、郊外のお城なども楽しむためには、最低4〜5日必要だと思いました。観光の中心が建築や芸術となるせいか、年配の旅行者が多く、大人向けの街かもしれません。(J)

 

ルーマニア(2004)

Pflingsten の連休を利用して、ルーマニアへ行ってきました。
旧共産圏の国は、東ドイツを除けば、チェコ・ポーランド・ハンガリーに続いて4ヶ国目でしたが、今までで一番キョーレツに心に残る旅となりました。
宿泊は3泊とも首都ブカレストの某西側資本のホテル(内部だけは別世界)に取り、1日だけレンタカーを借りて、日帰りでトランシルヴァニア地方の都市ブラショフも見てきました。

まずブカレストですが、ひと言で言うなら、「混在している。」という感じです。街の大半は共産党支配の時代に建てられた、やたら大きいだけの無機質な建物。そこに西側資本の景観にそぐわない近代的なビルが加わり、所々に戦前からある古いけれど趣のある建物が隠れるように建っています。かつて「バルカンのパリ」と呼ばれたという美しい街並みは裏通りに多少残っていますが、メンテナンスがなされていないため荒れ放題。そんな所からも、この国がまだまだ貧困から抜け出せないでいることが窺えます。メインストリートはやたらと広く、そこをたくさんの車がかなりのスピードで走っています。横断歩道を渡るのも命懸けなほど。民主化後、急速な車の増加に道路の整備が追いついていないようで、所々に大きな穴が空いていたりするのが怖い。また、まだまだ有鉛ガソリン車の割合が圧倒的で、空気が汚く、歩いていると目や喉が痛くなります。
社会主義時代に建てられた建物の中でも圧巻なのは、チャウシェスクが国民の貧困をよそに、贅の限り尽くして建設させた「国民の館」です。建設当時、ルーマニアは深刻な経済危機に陥っており、加えて過去最悪の飢饉により国民は飢えに苦しんでいたにもかかわらず、チャウシェスクはこの宮殿を約1500億円を投じて建設させたとのこと。その床面積は45万u、部屋数は7000にもおよび、世界の建築物の中では、アメリカのペンタゴンに次いで2番目に大きいそうです。そして彼は自分の欲望の塊であるこの宮殿を「国民の館」などと名付けたのです。但し、完成間近に革命が起き、当のチャウシェスクが入居することはなかったとか・・・。


故チャウシェスク夫妻の願望を満たすためだけに建てられた「国民の館」


革命広場に建つ旧共産党本部。1989年12月22日、チャウシェスクはここで国民のデモに反対する演説を行おうと試みるも、激しいブーイングにあい、屋上からヘリコプターで逃亡した。

ブカレスト市内を歩いていて、やはり一番心に響くのは、1989年の民主革命時の傷跡がまだ至る所に残っている、ということです。数万人の市民が国軍と対峙したという市内の目抜き通りを歩けば、“1989年12月21から22日”と書かれた十字架や記念プレートが目につきます。中でも大学広場と呼ばれる一角には壁に銃弾の後が残り、それを丸で黒く囲って横に十字架が描かれてあり、「1989年12月21から22日、自由のためにここに死す」と彫られたプレートがかけられています。そしてその横の壁には漢字で「天安門広場二」と書かれていました。「第2の天安門広場」という意味なのでしょうか?奇しくもこの日は6月3日、天安門事件から12周年を迎える前日でした。
市中心部にある軍事博物館には、革命で命を落とした人々の遺品が展示されています。また地下鉄で少し南に行くと通称「英雄の墓」と呼ばれる墓地があり、革命で亡くなった方々が眠っています。墓碑に刻まれている生まれ年をみると、50年代、60年代生まれの方が非常に多く、同年代の私としては今までの人生を如何に自由に、平和に生きてきたかと思い知らされました。


大学広場の壁。黒丸で囲ってある所が銃弾の跡

革命で亡くなった方々が眠る「英雄の墓」

ブカレストの喧騒を離れて、車でちょっと郊外に行けば、そこはもう田舎そのものです。
ブラショフまでの道中、カルパチア山脈を越える途中には自家製チーズやもぎたてトマトを家の前で売る人達。牛を散歩させる(!?)おばあちゃん。時には放し飼い(あるいは野生?)の牛や馬が道路をドーンと塞いでいるのには驚かされました。私たちが借りた黄色い車がよほど目立つのか、それともアジア人が珍しくすぐ目に付くのか、道行く人々は車で走る私たちをじーっと目で追い、時には手まで振ってくれたりしてなかなか楽しいドライブでした。
ブラショフは古都。古き良きルーマニアが残っている、という風情の街並みです。この街はドイツ移民により13世紀に建設されたそうで、ドイツ名を“Kronstadt”と言います。あいにく天気が悪く、また短時間しかいられなかったこともあり、じっくり市内見物ができなかったのが残念ですが、少なくとも首都ブカレストよりは、落ちついた趣のある街でした。
郊外にはドラキュラのモデルとなった、ヴラドV世の居城であったブラン城があります。実はここを訪れるためにわざわざ車を借りて来たのですが、当日は月曜日、何と休館日だったのです!!こんな観光名所に休みの日があるとは・・・。事前にちゃんと調べて行かなかったのがいけないのですが、落胆することしきりの私たち。オランダ人が観光バスで乗りつけて来ていたので、彼らも知らなかったんだろうなぁ。


ブラン城
今回は3泊4日の短い旅で、ブカレストを中心にしかルーマニアという国を見ることができませんでしたが、機会があれば是非もう一度訪れたいと思っています。そして今度はトランシルバニア地方を中心に、民主革命の発端を引き起こした街ティミショアラや、田舎の村々をまわってみたいと思っています。(E)