児童文学作家 那須田 淳氏 (Part 2)(2008)

(略歴)
1959年、静岡県浜松市生まれ。早稲田大学卒。「鬼ケ島通信」同人。
大学卒業後、まもなく執筆活動に入り、88年にポプラ社よりデビュー。92年の夏にドイツのミュンヘン国際児童図書館に、日本の児童文学作家としてヨーロッパの作家たちの交流のため奨学研究員(三ヶ月)に招聘される。その後、95年からドイツのベルリン市に在住。
90年、97年に全国感想文コンクール課題図書に選定、04年に産経児童出版文化賞受賞。05年に坪田譲治文学賞受賞。
06年に浜松ゆかりの芸術家顕彰を受賞。
日本ペンクラブ会員

主な著作に、絵本「魔笛」(講談社)、「おれんちのいぬチョビコ」(小峰書店)など。ファンタジー童話にバイエルン地方の森を舞台にした「ボルピィ物語」(ひくまの出版)、青春少年小説(ヤングアダルト)に「グッバイバルチモア」(理論社)や「スウェーデンの王様」(講談社)「ペーターという名のオオカミ」(小峰書店)「一億百万光年先に住むウサギ」(理論社)など多数ある。また翻訳には、木本栄との共訳で、「ちいさなちいさな王様」(講談社)や「エスターハージー王子の冒険」(評論社)「ケストナーの伝記」(偕成社)、また単独訳で絵本など多数ある。



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<インタビュー>


2008年3月3日にインターナショナルスクール・オブ・デュッセルドルフ6〜8年生(日本では、小6〜中2に該当)の生徒たちと、4日には9年生と、“書くことについて”のワークショップを行いました。そしてその後、私たちのインタビューに応じてくださいました。

【ワークショップについて】

Q:まず本日のワークショップを終えての感想をお聞かせください。 A:インターナショナルスクールの生徒たちは、たぶん受けている教育がよいのだと思いますが、自分の考えがわりと表現できるので、文章もうまいです。だから、文章の組み立てといった基礎よりは、物語の作り方みたいなところを主に話せたので、教えるほうも楽しかったです。
今日の生徒は6〜8年生(小6〜中2)でしたが、創作というのはあくまで個人の作業なので、一緒に学ぶ事にも問題はありませんでした

Q:海外に住んでいる子供の日本語力についてどう感じられますか。また外国語を学ぶことで母国語にどのような影響があるとお考えですか。 A:ことばは母国語、第一言語が大事です。僕たち日本人の場合、やはり基本の日本語がしっかりしていないと次の言語が習得できないのではないでしょうか。逆にいうと日本語が出来ると英語やドイツ語はいずれついてきます。だから意識して日本語をきちんとしゃべることが大切ですね。また、日本のテレビやビデオ、DVDなどもうまく活用すれば、お母さんのことばだけではない多様な言葉を学べるメリットがあります。
また海外に住んでいると、外国語と母国語の日本語がまざってしまったりして、ことばがミックスしてしまうことがあります。子供たちも、苦労しながら学んでいくの途中なので、仕方がないかなとも思います。うちでは、子供がドイツ語と日本語をちゃんぽんにしているときは、なるべく日本語でもう一度、話すよう促しているのですが、本人がいそいで言いたいという気持ちもわかるので、難しいですね。 

Q:外国に来た時の子供の年齢によっても第二言語の入り方が違うと思うのですが。 A:子供によっては、自分の第一言語は何なのか不明になるときがありますが、ぼくは、第一言語は家庭で話している言葉だと思っています。国際家庭の場合などは難しいですが、日本人家庭の場合は日本語ということです。ぼくの奥さん(翻訳家 木本栄氏)の場合もロンドンで生まれ、親の赴任に従って、ガーナやチェコ、ペルーなどあちこちの国に住み、いったん、日本に戻って、さいごに14歳でドイツにきました。彼女も、幼時のときはアメリカンスクールに通っていたそうで、兄弟同士だとは英語で話していたりしたらしいですが、やはり第一言語というと日本語になるのでしょう。

Q:奥様は、翻訳のお仕事をされていますが、特に、本の題名のつけ方が上手だなと思うのですが。 A:彼女はうまいですね。感性かな。言葉遊びができますね。もしかしたら、その育った環境により、言葉に対する先入観みたいなものが少ないのかも。「トリ、サムサヘッチャラ」(ひくまの出版)などの児童書のタイトルも、単に言葉を置き換えるのではなく、ドイツ語のもつ意味を捉えてからそれをふまえて飛躍させたりして。またぼくと共訳になったドイツのパパの子育てエッセイ「パパにつける薬」(講談社)のタイトルも、彼女がつけました。原題は、「Der Kleine Erziehungsberater」で、直訳すると「小さな教育顧問」となりますか。でも、日本語にするとなんのことはよくわからなくなってしまいますよね。こういう場合は、本文の内容から発展させるのですが、ぴったりきましたね。じつのところ、この本には、作者のアクセル・ハッケ、画家のミヒャエル・ゾーヴァと、共訳のぼくという三人のパパも関係しているのですか、思わずうなってしまいました。

【活動について】

1.「一億百万光年先に住むウサギ」について

Q:この物語の中に「恋樹」というものが出てきますが、これは実際にはドイツにあるのですね。伝説を知っていてこの物語を書かれたのですか。 A:はい。北ドイツのキール近くに湖沼地帯がありますが、そこに友達が住んでいて、ある日結婚式に呼ばれました。そのとき泊まった農家のおばさんたちに樹の話を聞き、恋結びの木みたいで面白いと思って、そこから物語をひろげていきました。初めはドイツを舞台にした物語を書こうと思いましたがどうもしっくりせず、場所を日本の鎌倉に移したわけです。鎌倉にしたのは、僕が育った土地なので、取材しなくても書けましたから。ドイツにいると取材といったことが難しいのです。そして、ドイツの伝説では樫の木(ミズナラのほうが近いかもしれませんが)ですが、妖精が宿りそうな神聖な樹ということなら、日本の場合は、楠とか桜じゃないかと。たまたま僕が舞台に選んだ土地には、古い桜の樹があったので、これにしようと、わりと簡単に決めました。で、あの物語には星を磨くウサギをエッセンスとして出しましたが、これはもともとケルトやゲルマンの宗教で、ウサギが木の精霊的なものとして扱われたりしていたのをヒントに膨らませていったのです。じつは物語を刊行したあとで、舞台となった桜の樹がある山が、別名で「ウサギ山」とされているということを知って、びっくりしましたけど。

Q:この作品は、大人の世界と青年の恋とファンタジーとが、うまく絡み合っていると思いますが。 A:「一億百万光年先に住むウサギ」は、主人公の少年の恋、主人公のお母さんや喫茶店のマスターなど親の世代の恋、汁粉屋のおばあちゃんの恋、という3つの世代の恋を意識して書きました。それと、星磨きウサギという妖精の恋もあります。いろんなタイプの恋を取り混ぜて書いたのです。これがぼくにとって「現実社会」なんですね。子供たちの恋だけを書くと子供だけの世界だけになってしまう。子供たちは親たちの世界とのつながりで生きている、それを書きたかったわけです。

Q:なぜ恋の話を書きたかったのですか。また、その少年たちの恋の形はご自身にとって理想なのですか。 A:「ペーターという名のオオカミ」のときはラブストーリーの部分がもの足りなかったので、男の子と女の子の心の機微をもうちょっと書きたいなと。ぼくも少年時代に、あんな恋ができたらよかったなと思いますね(笑)。ピュアな恋というのは、やはりあの年代にしかできないのかもしれません。

 

Q:「一億百万光年先に住むウサギ」というタイトルはどこから生まれたのですか。 A:星磨きウサギについては大学生時代から短編小説を書いていました。「一億百万光年」というのは、いってみると宇宙の端から端まで、つまり一番遠いところの距離です。「星磨きウサギ」を書こうと思ったとき、このタイトルしかないと思いました。

 

Q:「ペーターという名のオオカミ」のときから書き方をかえたということですが、どのように変わったのでしょうか。 A:そうですね。「ペーターという名のオオカミ」を書くまでは、僕は児童文学という枠を意識していたので、つまり読者を想定して物語を書いていました。小学生や中学生にわかりやすい表現にしようとか。でも、「ペーターという名のオオカミ」を書き始めて、もっと自由に自分が書きたい世界をそのままに表したいと思ったのです。いわばあの作品が僕にとってターニングポイントになりました。子どもと大人ではもちろん読み取り方も違います。でも、それは読者の自由というか、それこそ読書の楽しみなのじゃないかと、ようやく気がついたといってもいいかもしれません。結果的に「ペーター」は完成までに七年以上かかって、編集の方にも迷惑をかけましたけど。

2.前回のインタビュー後の活動について

Q:前回のインタビューの時に長編の構想が4冊あるとおしゃっていました。その中の1冊は「一億百万光年先に住むウサギ」ですが、あとの3冊に関して今の状況をお聞かせください。 A:今、書いているところなので、お楽しみにと(笑)。「オオカミ」から「ウサギ」と展開して、次の位置づけになる青春小説です。それから歴史を扱った青春もの。小学生から中学生向きのエンターティメント系のもの、さらに一般小説といろいろ構想だけはふくらんでいます。
また小説を書いていると、かえって童話も新鮮で面白くなってきて…ということで、いつのまにか、今年中に書かなくてはいけないものが20冊くらいになりました。たぶん不可能です。ただ、去年から日本の青山学院女子短期大学の国文科で、創作を指導しているので、半分ぐらい日本にいます。そのときは単身赴任ですから、子育てからも開放されて、執筆時間も前よりは取れるかなと思っています。あと、今年はこの六月に子どもミュージカルを浜松でやります。子どもたち、といっても高校生が主体ですが役者で、オーケストラもジュニアオケが担当して、という企画で、僕が原案・脚本を書きました。音楽もロサンゼルスで活躍している若手の日本人作曲家が書き下ろしでやってと、けっこうスケールの大きなイベントです。

 

Q:日本の大学で講義をされているそうですね。大学で教えるということは、小説を書く上で影響を及ぼす点はありますか。 A:大学にかかわらず、人に教えるということは、当然ながら、そのための準備をしなければなりません。創作をしていても自分の中で曖昧なまま済んでしまっていることって、じつはたくさんあるのです。でも、今日のインターのワークショップもそうですが、人に説明するには、そのことをはっきり自分が知っておかなければならない。そのためには自分自身で、納得するまでしっかり考える訓練をしなければなりません。これは書くためにもかなり大事かと思います。
また読者の年令に近い学生たちと話をするということは、なるほどと思う反応が多いです。

 

Q:最近の大学生は読書をしていますか。 A:していると思いますよ。案外と。もちろん昔とちがって、本=文学とはいえないかもしれませんが。現在は漫画と文学の境がはっきりしなくなってきており、かえって本が手に取りやすくなっているのかもしれません。もっとも、昔は、本が好きな人は自分で本屋さんに行き、本を見つけることから始まっていましたが、最近はインターネットのクチコミや、雑誌、友だちからの情報で読み始めるので、みんな同じ本を読んでいますね。話題にのぼらないと、傑作も埋もれてしまいやすいので、ちょっと怖い時代です。

 

Q:その学生さんたちが話す日本語、書く日本語についてはいかがですか。 A:友達同士で話すときは別ですが、話すのも書くのも問題ないと思います。国文科ということもあるかもしれません。中にはあまり、敬語はとくいでは学生もいるように思いますが…。

 

Q:大学ではやはり書かせる事が多いのですか。 A:創作指導なので書かせています。一年を通して課題を毎回変え、絵本的な文章からファンタジーや小説的な文章などを書いてもらっています。
今回のワークショップのテーマはファンタジーでしたが、その中でも現実と空想の世界を行ったりきたりし、現実のこともしっかりと把握していなくてはならない、ローファンタジーというのが一番難しいものです。
今日の生徒たちには以前、日常の小説的な要素のあるものを書く課題を出しましたが書けていたので、今回はファンタジーを書いてもらいました。まだ入り口ですが、想像する楽しさを知ってもらえたらうれしいです。

 

Q:最近、携帯小説というものが流行っていますが、作家としてそれについて何かご意見はありますか。 A:携帯小説は、横書きの短い文章の中で表現し、リズムが独特で、略文字を使っていたりとこれまでの日本の小説とはカタチが少し違います。でも、それも一つのジャンルとして存在していていいのでは。読みたい人が読めばいいし、書きたい人が書けばいいのです。ぼくはああいうカタチの作品は書きたいとは思いませんが、売れてますしね。やはり最後は内容ですし、携帯小説で感動できるならば、否定しません。ただ、若い読者が、小説をそれしか知らないとなると、もったいないなと思いますが。

 

Q:今日のワークショップでは、生徒ひとりひとりの作品にコメントされましたが、その際、注意されたことは何ですか。 A:今日の場合は、これから書き上げるものなので、文章などの細かなことについては言及していません。どういう風に書き上げていくのか、何を言いたいのか、トータルで自分で何をつかめるのか、今日の場合はラストまでわかっていない生徒が多かったので、着想段階の時点で言えることを意識しコメントしました。

 

【生活について】

1.子育てについて

Q:アクセル・ハッケ氏の子育てエッセイ「パパにつける薬」を翻訳されていますが、父親として子育てにどのように関わられているのか、またご自身の子育て観なども合わせて教えてください。 A:この本は、どちらかといと「できないパパ」(笑)の話ですね。で、ぼくはどうかというと、昔の世代のお父さんたちよりは、今の世代のお父さんたちはよく子育てをしていると思うし、また会社に行っているお父さんと家で仕事をしているお父さんでは状況も違うと思うので、
比較はできないのですが、ぼくは、ぼくなりにできることをしているつもりです。ぼくたちの場合は、夫婦ともに、家で仕事をしているので、必然的にお互いにできるところを協力しながらということになります。たとえば、朝は、ぼくが子供たちを学校へ連れて行き、お迎えは彼女が行くというように。学校のことは奥さんが、遊びのことはぼくが主にやってますし。そうそう、子育てとは直接関係ないけれど、わが家の場合は、食事は基本的には、ぼくが担当してまして、掃除や洗濯、後片付けなどは奥さんです。なので、午後は、その晩の献立をあれこれ考えたりもします。晩御飯は毎日のことなので、買い物やメニューの食材についてもいろいろ考えます。子供が食事を残したら怒ったりもします。つまり仕事も、日常生活も子育ても、渾然となって暮らしているのが実態ですね。
でも、今は、ぼくはドイツと日本で半分半分の生活で、日本にいれば、単身赴任の解放感と同時に寂しさもあります。家族もそうなのだろうなと(じつは違うかもしれませんが)思います。なので、ドイツにいるときはできるだけ色々と家族のためにしてあげたいと思いますが、無理はしません。やはり「できないパパ」の一人なのでしょう。

Q:ドイツに長く住んでいらっしゃいますが、ドイツの子供達との接点はありますか。又、その関わりがご自身の執筆活動に与える影響などありますか。
A:子供の友達が遊びに来たりします。執筆活動への影響は、私の作品が子供達をモデルにしていないのでほとんどないと思います。

2.現在お住まいのベルリンについて

Q:東西の統一後のベルリンの都市変化に魅力を感じられていらしたようですが、まだなお東西の違いなど感じられる事がありますか。また、その中での日本人の存在について何か感じていらっしゃる事はありますか。 A:ベルリンは、町そのものが成長しながら、人と共に動いているようなところなので、刺激的で面白いですし、文化的にも試みが多く、実際に色々なものが出来ていくので、飽きません。2011年にベルリンに新国際空港ができるし、プロイセンの城も復活するというし、まだまだ発展途上ですね。東西の格差は依然比べたらなくなってきたと思います。あと治安ですが、何か事件があるとべルリンは目立ちますが、わりに防犯意識が高く、警察官の数が多いのでかえって安全かもしれません。
あと、日本人の存在ということでは、ベルリンは学生が多いと思うのですが、僕らも歳を取ってきて彼らの世代との交流があまりないので、なんともいえません。ただ海外にいる日本人になにか一言ということでしたら、あまりくよくよ考えないことがいいのではないかと。はじめのころは、ぼくもどこかで、日本の代表のような一種の気負いみたいなものが心の片隅にあって、自分の中の日本人をことさら意識していたかもしれません。もちろんここでは外国人ですから、いわば異分子です。それを認識しながら、でも、今は日本人であるということより、自分でありたいと、それで気楽になりました。